石井朝方(第20代校長) “令和2年度卒業式 校長よりはなむけのことば” から
2021.3.31
私は昨年の2月まで、世界がこんなに変わってしまうなんて想像できませんでした。
新型コロナウィルスによって学校生活も一変しました。
毎年、当たり前のように実施してきた修学旅行や運動会、部活動の大会・コンクール、学習発表会や合唱コンクール等の行事がいつも通りにできなくて寂しい思いをした人も多かったでしょう。
しかし、そんな状況下でも中学生活を前向きに過ごし、乗り越えてきた人がたくさんいて嬉しく思いました。
そして、人間関係では例年以上に色々な学びがあったのだなと感じられるできことがありました。
湯河原町内の方から聞いたのですが、以前は、一人や少人数で登下校することの多かった湯中生が、6月に臨時休業を明けてからは、集団で楽しそうに登下校する姿がたくさん見られるようになったそうです。
それは町の中で、とても微笑ましい風景になっていると言っていました。
休業中の寂しさと学校に行っても密にならないように距離を取らないといけないことから心は近づきたいと皆が思い、友達と一緒に登下校するようになったのでしょう。
コロナ感染は、仲間と一緒にいる時がかけがえのない時間であることを再確認させ、人と話すことで心が安定することを学ばせてくれたように感じます。
また、会えない人たちに対して、今何をしているのか考えたり、健康状態を心配したりもしました。自由に人に会えないことが、相手の思いを想像させ、相手の思いを理解しようとし、その思いに寄り添うようになったように思います。
最近この赤いストラップを見かけることがあります。ヘルプマークと言うそうです。
町役場の社会福祉課で希望する町民に配布しています。
外見からはわからない困りごとを持った人が援助や配慮が必要であることを周りの人に知ってもらうために身につけています。
例えば、電車内に松葉杖を使っている人が荷物を持って立っている姿を見たら、困っているだろうと予想できます。
そして、その日、自分の体調が元気ならば、席を譲ることとか、荷物を持つことを申し出ることができます。
しかし、援助や配慮を必要としていることが外見からはわかりづらい人に会った時、例えば、義足や人工関節を付けている人、心臓などの内臓疾患の人や妊娠初期でまだお腹のふくらみが目立たない人などには何の手助けもできません。
だから、ヘルプマークを付けていればその人が配慮を求めていることが分かって、援助しやすくなります。
素晴らしいアイデアです。
そして、もう一つ素晴らしいマークを見つけました。
それが、このサポートハートマークです。
「私は手助けが必要な人に手助けをしたいと思っていますよ。」というメッセージマークです。
困っている人は、このマークを身につけている人には声をかけて頼みやすいでしょうし、自分のヘルプマークをそっと見せるだけでも思いを伝えることができるかもしれません。
マークを使った暖かなやり取りが世の中で頻繁に行われるようになったら素敵です。
こんな風に、人は思いを伝えるためにいろいろな努力をしています。
自分とすべて同じ考え方の人はいません。
考えの違う人が集まって、世の中は成立し、意見が違うからこそ寄り添おうと努力しています。
卒業するみなさんには、自分の気持ちを伝えるために努力することと、相手の気持ちをわかろうと努力することは、コロナ感染が収束してもこれからずっと続けてほしいです。
そして、皆さんがヘルプマークもサポートハートマークも掲示しなくても心が通じる仲間をたくさん作ってくれることを期待しています。
今、あなたができないと思っていたとしても、人は変わることができます。
努力すればきっと変われます。今よりもさらに成長し、いつかたくさんの人に寄り添える人になってください。
そして、この湯河原町を暖かな心でいっぱいにして、みんなが幸せに生活できる町にしていってください。
石井 朝方(いしい ともえ)プロフィール
1960年、二宮町生まれ。母親は吉浜中学校と統合後の湯河原中学校の元音楽教員。祖母宅が吉浜にあり、幼少期より湯河原町に親しんでいる。1990年、湯河原中学校に数学教員として着任し6年間在籍。2017年、湯河原町立東台福浦小学校長として着任。2018年、第20代湯河原町立湯河原中学校長として着任。
山口 学(昭和35年度卒業生) “やまない雨はない”コロナ禍でも頑張ろう!
2020.12.10
“やまない雨はない”コロナ禍でも頑張ろう!
私は、昭和36年3月まだ吉浜中学校との統合の前の湯河原中学校を卒業しました。今でも盆、暮には中央2丁目にある実家に帰省しますが、東京暮らしが長いせいか帰省すると野山海の素晴らしさ、食べ物の美味しさ、そして懐かしい友人達との再会等、とても楽しいひとときを過ごします。
かつて、湯河原に住んでいた時は、ひとときたりとも感じ得なかった湯河原の素晴らしさが、今、とてつもなく大きな“うねり”になって私の感情に迫り、会社生活が終了したら「湯河原に帰りたい!」と感じる今日今頃です。
私は、大学卒業後、東京電力に入社しました。37年間東電で、そして引き続き東電のグループ企業である関電工で充実した会社生活を過ごすことができました。
せっかくの機会ですので、この52年以上の会社生活で、私が体験したことを通じて得た教訓を皆さんの参考にしていただければ幸いです。
1. 学歴だけを偏重する時代は崩れ始めている
学歴が尊重される時代から、今後本人の能力、個性が重んじられる社会になっていくと思います。だからこそ、自分の興味のあることを深堀りしてほしい。
2.危機感こそ変革の起爆剤となる
「このままでは駄目だ!変えなければ、変わらなければ!」という切迫した危機感を感じた時、人も組織も変革するのです。
3.目標を持って行動しよう
在学中でも社会人になっても、勉学に限らず日常生活のなかでも、些細なことでも目標や期限を決め、「これだけはやり遂げよう!」と自分に約束して取り組む
4.趣味やスポーツを通じて人生の友人を作ろう
人口約1億2千万人の日本のなかで、皆さんが一生で出会い作れる友人が何人いると思いますか。たかだか多くて数百名だと思います。だからこそ、勉学、趣味、スポーツ等、多種多様な人との付き合いを通じて作る友人は“大切な財産”となります。
5.人は「何を言ったかではなく、何を成したかが重要」である
多くの人は、それぞれ多種多様の意見を言いますが、「自分の言った意見に責任を持ちそして行動する」ことが大切です。単なる評論家にはならないでください。
6.人生良い事ばかりではない。どんな境遇にあっても全力を尽くそう
学生生活、社会人生活のなかでも、良い時もあれば不遇な時もあります。決してあきらめず、置かれた境遇のなかで嘆かず腐らず全力を尽くしてください。必ず良い時期が来ます。
7.仕事への誇り・使命感を大切にしよう
私は52年間以上の会社生活で、約10年前の福島の原発事故の復旧工事に際して、関電工の社長として生涯忘れ得ぬ経験をしました。あの過酷な原発事故のなか多くの住民が避難し、原発構内の多くの会社の作業員が避難するなかで、私の要請に従って発電所に残り、さらに事故時から今日まで延べ96万人にのぼる関電工、協力会社の作業員が関東各地から福島に赴き、命を懸けて原子炉の冷温停止を達成し、その後の復旧工事に従事してくれています。ただただ彼らへの感謝と同時に、「人が働くとは、どんな職業でも生活の糧としての給料だけではない、仕事への誇り・使命感が彼らに宿り行動させたのだ!」と痛感しております。爆発直後に現場に入った作業員の言葉を、私は今でも忘れられません。「俺達が作った設備を俺達が守らなくて、誰が守るんだ!」
皆さん、今世界は、日本は、新型コロナ禍で苦闘しています。しかし、ニューノーマルの生活のなかでも、人類はこの試練に立ち向かい打ち勝つと私は信じています。そうです、“やまない雨はない”のです!
日常生活が大きく変わり大変な時期かと思いますが、今だからこそできることを模索し、この時間を無駄にしない生活を送ってください。
山口 学 (やまぐち まなぶ)プロフィール
1946年、二宮町生まれ。二宮小学校、湯河原小学校、湯河原中学校、小田原高校、法政大学卒業。1968年、東京電力株式会社に入社。2005年から株式会社関電工代表取締役社長、2012年から代表取締役会長、2017年から特別顧問に就任。